■710年、元明天皇のときに、奈良盆地南部の藤原京から、北部の平城京に遷都されました。
■碁盤目状に街割りされており、東西約5.5km、南北約4.8kmの広さがありました
■貴族・役人の服装は、「衣服令」で、位階毎に色・形などが細かく決まっていました。
■貴族の婦人は、金や銀の髪飾りをつけて髻を結い、額や唇の両脇に花鈿という印をつけて化粧し、衣(上着)に裙(スカート)をはいて紕帯を巻き、くつをはいて、おしゃれにスカーフを手にしていました。
■庶民の服装は、男子は衣・褌、女子は衣・裳に履をはいた、今のツーピーススタイルかと思われます。
「‥‥葛飾の 真間の手児奈が 麻衣に 青袴着け ひたさ麻を 裳には織り着て 髪だにも 掻きはけづらず 履をだに はかず行けども ‥‥」
(巻9、1807)
■貴族の食卓には、御馳走が並んでいたと推測されています。
・ウナギが夏バテに効果があるとわかっていたようです。
「石麻呂に、われ物申す 夏痩せに よしといふ物ぞ むなき(鰻)取り食せ」
(巻16、3853)
■庶民の食卓は、貴族と違って、一汁一菜ぐらいではなかったと推測されています。
■水田耕作が行われていました。
川から水を引き入れて苗を植え、鹿や猪から稲を守り、刈り取り、米倉に保存していたようです。
「佐保川の 水をせき上げて 植ゑし田を ‥‥」
(巻8、1635)
「‥‥小山田の 鹿猪田守るごと ‥‥」
(巻12、3000)
「秋田刈る 仮廬を作り わが居れば ‥‥」
(巻10、2147)
■貴族・役人の宅地は、朝廷からそれぞれの位によって支給されていました。
右大臣 ‥‥4町
4位以上~ ‥‥2町
5位以上~ ‥‥1町(約 3,700坪 約119m×103m)
6位以下~ ‥‥世帯のなかの青壮年男子の人数に応じて
無位の物 ‥‥1町、半町(約1,850坪)4分の1町(約900坪)
■庶民の住宅は、16分の1町(約300坪弱)の敷地に、10坪足らずの建物が2~3棟建っている程度だったようです。
■役人には、「長上官」と「番上官」がありました。
「長上官」‥‥常勤で、1年の3分の2以上(およそ240日以上)勤務。
「番上官」‥‥非常勤で、年間140日以上勤務。
■勤務時間は、日の出の出勤に始まる、4時間ほどだったようです。
■官庁勤めの役人は、およそ8千人と言われています。
■6位以下の役人の給与は、月々に米・塩でもらう「月料」と、いまのボーナスにあたる、毎年2月8月に布や綿や鍬でもらう「季禄」とがありました。
■5位以上の高級役人は「季禄」の他、地位に応じて与えられた「位禄」「位封」などの収入がありました。