日本文化の原点ともいわれる萬葉集は、時代を超えて愛され続けている超ベストセラー。
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山崎しげ子 SHIGEKO YAMAZAKI
山崎しげ子さんが語る「大和三山」
古代大和の象徴でもある大和三山‥‥。畝傍山(うねびやま)、香久山(かぐやま)、耳成山(みみなしやま)。いずれも二〇〇メートル足らずの低い山ながら、大和国原(くにはら)に、浮島のように秀麗な姿を浮かびあがらせる。そのシルエットの美しさはもちろん、三山の配置がほぼ正三角形を描くという大自然の妙により、そして何よりも『万葉集』に伝えられる三山の妻争いの歌によって、古来、どれほど多くの人たちのロマンをかき立てて来たことか。
香具山は 畝火ををしと 耳梨と 相争ひき 神代より
斯くにあるらし いにしへも 然にあれこそ
うつせみも 嬬を 争ふらしき
甘橿丘から見た香久山
香具山は畝傍山をいとおしいと耳梨山と争った。神代の頃からもこうであったし、昔もそうであった。だからこそ今の世も妻を争っているらしい。単純に訳せばこうなる。が、誰もがこの何でもない歌に美貌の万葉歌人額田王(ぬかたのおおきみ)と、彼女をめぐる古代の英雄、中大兄皇子と大海人皇子(おおあまのみこ)という兄弟の恋争いの物語をダブらせていっそうロマンティシズムを募らせるのだ。額田王はまだ十代のころ、大海人皇子(のちの天武天皇)と結婚、十市皇女(とうちのひめみこ)をもうけた。だが、いつのころか中大兄皇子(天智天皇)の妻となっている。天皇が権力によって奪いとったのか。天智七年(六六八)五月五日、琵琶湖の東、蒲生野(がもうの)で宮廷行事の遊猟があった。天皇はじめ百官、采女に至るまでが美しく着飾って薬草や鹿の袋角を採るレクリエーションで、その折の有名な歌。
あかねさす 紫野行き 標野行き
野守は見ずや 君が袖振る
紫草の にほへる妹を 憎くあらば
人妻ゆゑに われ恋ひめやも
すでに兄、天智天皇の妻であることを承知の上で、大胆にも袖を振ってラブコールを送る大海人。「あら、野守に見つかってしまいますよ」と額田がたしなめれば、「いや構うもんか。紫がにおい立つように美しいおまえを、人妻だからといって諦められるものじゃないよ。今も愛しているんだ」と、迫る大海人。この危険な魅力をひそめた名歌によって、『万葉集』も、大和三山も、いっそう鮮烈に人々の脳裏に焼きつくところとなった。
甘橿丘から見た耳成山
ところで「香具山は 畝傍ををしと 耳梨と‥‥」の「をし」は「雄(を)し」とも「愛(を)し」とも解される。「愛し」なら一人の女性を二人の男性が争うことになり問題はないが、「雄し」ならば逆に二人の女性が一人の男性を争うことになる。山の姿を見ると、畝傍山が一九九メートルと一番高く、がっしりとした雄々しい山容だ。耳成山は一四〇メートルと低く、なだらかな円錐形で、いかにも女性らしい。香久山は一五二メートル、独立した山でなく峰つづきのやや平坦な丘といった感じで、男性的とはいえない。となると、畝傍山が男山ということになるが‥‥。しかし、私は畝傍山を女性、額田王と見たい。その方がずっとロマンチックではないか。それというのも、甘橿丘に登ると一番よく分るのだが、丘の真西に見える畝傍山の山裾が南北に長くゆるやかに広がっていて、ちょうど女性が衣の袖を長く引くように見える。そう思って見ると、「赤裳裾引(あかもすそ)き・・」と表現された美しい万葉女人の姿が目に浮かび、なるほどとうなずける。やはり一人の美女を二人の男性が争うというロマンに軍配を上げたい。
甘橿丘から見た畝傍山
ほかにも『万葉集』には畝傍山には桜児(さくらこ)、耳成山には縵児(かづらこ)の二つの伝説がある。二人は複数の男性から愛され、苦悩し、ともに自ら命を断った。こうした物語は時代を超えて人々の心に生きつづけたのだろう。これらに想を得たのが能『三山』である。
大和三山はいずれも橿原市にある。東の天香久山、北の耳成山、西の畝傍山、どれも二百メートル足らずの低い山だが、緑濃い秀麗な山容と、大和盆地にほぼ正三角形を成して浮島のごとくに点在する配置の妙がすばらしい。時に、神のいたずらかと思うほど美しい光景に出合い、感動を新たにする。かつて二上山雌岳(にじょうざんめだけ)から眺めた三山は、白い薄絹を靡かせたような春霞の中に浮かび、そのとろけるばかりののどかさに息をのんだ。新緑の三山、茜色の夕陽に染まる三山、白雪の三山もいい。